2023/04/03 16:32
皆様こんにちは!DÉMODÉの細野です!
今回は当店を始めた理由PART②。
前回UPしたものの続きです。
前回分を見られてない方はこちらより。
ハウスメーカーの営業として働きだしてから、僕の頭の中にはずっとモヤモヤがありました。
成り行きに任せて働き出したものだから、なんせ家に対する熱量が無い。
もちろんの事ですが、そんな僕をお客様は大きな買い物の仲介人として選んでくれるのです。
どこかお客様を裏切っているような罪悪感を感じながら働いていました。
「自分が好きなものを売る仕事をしたい。」
そう考えたとき頭によぎったのはアパレル業界で働く事でした。
元々就職先を決める際、「仕事と趣味は分けた方が良い」という言葉を鵜呑みにし、アパレルに関する仕事は一切受けていませんでした。
ただ実際に社会に出て働いて初めて、好きな事ではないと頑張れないという自分を発見したんです。
その思いに拍車をかけたのが前回書いた、元バイト先のYくん。笑
Yくんとは就職をしてからも頻繁に飲みに行っていました。
Yくんは僕が就職してからも「将来的に一緒に服屋をしたい」という事を語ってくれていました。
一度決めると融通の効かない僕。
その年の11月、上司に退職を考えている事を告げます。
そこでまさかの事件が。
その日の晩、自転車に乗っていた僕は車に跳ねられます。笑
割と衝撃展開ですよね笑。
ロードバイクにハマっていた僕は夜中に滑走。
当時は今よりも規制の緩かった時代。ノーヘルで耳にはイヤホン。
自分は風だと思って滑走していました。笑
大きめの交差点に侵入したところ、軽トラに跳ねられたんです。
目撃者が話すに10mは飛んだみたい。
頭から着地し、うつ伏せで大の字。
体は動かないものの意識があった僕は、自分の頭から出た血がすごい勢いで流れていくのを見ていました。
現場は凄惨なものだったと思いますが本人は冷静なもので、「夢に違いない」とか「これが現実なら確実死んだな」とか考えていました。笑
救急車で運ばれ頭を40針縫う大手術。ただ奇跡的に頭皮以外は擦り傷だけでした。(←どれだけ石頭やねん笑)
あと看護師さんが小声で頭蓋骨見えてる...って言ってました。(口に出してほしくなかった笑)
手術は終わり1週間は絶対安静。
その後初めて鏡を見た時は驚愕。鏡に映る自分は完全に落武者でした。笑
もちろんですが傷の部分は髪を剃られ(髪があると傷口を縫えないので)、頭の血は重力で下に下がるのでまぶたは大きく腫れていました。
ここまで人の顔って変化するんだと、変に感心。元に戻るのかな?とも常々考えていました。
臨死体験を経た僕は集中治療室で入院中、「人生は一度きり。後悔のない人生を送りたい。」と強く思い、退職を決意。
退院早々に退職の意思を伝えました。(今考えると上司からすれば迷惑な話です。本当に申し訳ないと思っています。)
言うまでも無いですがこの決断に両親は困惑。
事故で心配をかけた上、新卒で入った企業を辞めると言い出したのですから。
頭を打っておかしくなったと思われたかもしれません。笑
ただ自分の意思と思いを伝えると納得し、優しく送り出してくれました。
そんな両親の気持ちに感謝しながら、傷が癒えた後セレクトショップのBshop(ビショップ)で販売員として働き出すのでした。
販売員としての生活は楽しく、やはり好きなものを売る事は素晴らしいなー。と感じていました。
約5年間販売員として第一線で服を販売。
トレンドの移り変わりや感性を磨けたのかな?と勝手に解釈してます。
その後、より深く服の事を知るため兵庫県の西脇市(シャツの生地の一大産地。昔はバーバリーの生地も手掛けてた事があるみたいです。)の繊維商社で働きます。
そこでは大阪からの注文を受けて西脇で生地を製織、その後加工し大阪へ出荷するという流れでした。
僕の仕事は当初生産と納期の管理。
※機屋さん(実際に生地を織る機械を扱う職人)とコミュニケーションを取り、生地を織ってもらう→織られた生地に整理加工してもらう→与えられた納期通りに依頼元に出荷する仕事。
4年目からは自身のブランドの立ち上げさせてもらい、最終製品(ワークエプロンやバッグ)の企画/販売を行いました。
そして西脇で働き出してから4年半ほど経った時、ある出会いがあったんです。
それは「ヴィンテージアクセサリー」との出会いです。(お待たせしました。皆様ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございます。笑)
何気なく海外のサイトを見ていたとき、今まで見た事もないような雰囲気のあるヴィンテージリングを見つけたんです。
販売員時代からずっとアクセサリーが好きで、多くを見、多くを買ってきた自負がありましたが、国内の市場には全く無いデザイン。
さらに現在とは違って大量生産されておらず、全てが誰とも被らない一点もの。
「人と被りたくない」という思いが強い僕にとって、この出会いは運命だ!!と強く感じると同時に、こんなに素晴らしいものが存在するのに、僕も含め日本人は知らずに生きているのか!と愕然。
そしてもっと多くの人にこの感動を感じてほしい!と考えたのでした。
元々僕はアクセサリー難民でした。
色々なものを買ってきましたが、
専門店やセレクトショップで販売しているインディアンジュエリーは学生時代から調べすぎて、アーティストとアイテムがリンクするので面白味がない。
現行のものはブランドが限られているので(特にメンズ)、人と被るので買いたくない。
古着屋の片隅で置かれているアクセサリーは綺麗じゃないので(店によりますか?)買う気がない。
とずっと思っていたんです。
そしてヴィンテージアクセサリーについて深く調べると、国内のファッションジュエリーとは違い、海外では「気に入ったリングを親から子へ、子から孫へ受け継ぐのが伝統」だと知り、国内でも自分だけのアイテムを大切に、そして末長く愛用してもらいたいと強く考えました。
冒頭で書いた通り、事故にあった時から「人生は一度きり。後悔のない人生を送りたい。」と常に考えている僕は、その日からヴィンテージアクセサリー販売のためにリサーチを続けるのでした。
...というところで、長くなったので今回はこのくらいに。
アクセサリーの話が中々出て来ず失礼しました。笑
次回は販売に至るまでの経緯と、当店の思いを書いていこうと思うので次回もご覧いただけたら嬉しいです。
DÉMODÉ 細野